目覚まし機世界旅行
天野の場合
「朝ですよ。相沢さん。朝ご飯を食べて、京都に行きましょう」
(ああ。そうだ。京都にいこう)
鉄道会社のCMみたいなことを考えながら目を開ける。
そこで初めて、和室にひかれた布団に寝ている事に気づく。隣には浴衣姿で寝ている天野がいる。
「うっ…これは…」
いいのだ。
朝日を障子が優しく受け止めて暖かい光を天野に当てている。
そして浴衣ごしに少々柔らかなふくらみ二つが浴衣から穏やかに主張している。
そして天野のその安らかな寝顔。
こんな顔を何故天野はいつもできないのだろう?
そうすれば「おばさんぐさい」等と言わないのに…
「おい。天野。おきろ」
ゆさゆさゆさ…
「ん…あ、おはようございます…」
「おはよう。可愛かったぞ。天野の寝顔」
わざとらしく言ってみると案の定、
「………」
天野は赤くなって照れていた。
「じゃあ、朝食を食べてから散歩がてらに京都の町を歩くとするか」
「はい」
京都は面白い街だ。
「北海道より寒く、沖縄より熱い」というその温度変化の激しさや、古都としての町並みや面影とIT産業の企業や研究施設等の時代の最先端を走るものまでそろっている。
「面白い街だな。京都って」
俺と天野は京都の新名所。京都駅を歩いている。
ちなみに天野は着物だ。
萌え
という心の声は押さえておいて…
「しっかり出ていますが…」
ぐぉ。またやったか。俺…
それにしてもすごい人。
朝早いということもあって、京都駅には多種多様な人達が集まっている。
まず、神戸や大阪に出勤するサラリーマンが新快速に飛び乗るかと思えば、逆に京都の企業に通うために電車を降りる人たちもいる。
新幹線で観光に来た修学旅行客がいるかと思えば、関空行き特急「はるか」に乗るツアー客もいる。
「すごいな。なんか京都って趣のある静かな街だと思っていた」
「街ってこんなものですよ。
人が出会い、別れる。その行き来こそがまた街の息吹なのですから」
「そうかもな」
こういうときの天野の言葉には素直に頷かせるだけの重みがある。
さすがに年をとっていない。
「相沢さん。
私は相沢さんより年下なんですけど…?」
ぐぉ。また口に出していたか…
で、京都駅からそのまま周遊バスに乗ってやってきたのが三十三間堂。
とにかく圧倒される仏像の群れ。
「なんか…すごいを通り越して…怖いぞ……」
呆然としている俺を尻目にパンプレットで情報を習得した天野が説明する。
「えっと…本像の千手観音坐像(国宝)を中心に、左右に10段50列で500体ずつ千手観音立像が整然と並んでいるそうです。
で、この1001体の観音像、正しくは「十一面千手千眼観世音菩薩」といって、頭上には11のお顔をつけ、両脇には40本の手を持ち、1本の手が25種類の世界で救いの働きをし、40を25倍して「千手」を表しています。
千一体の観音像は、仰いだ角度のままひとりでに一つのこらず拝めるように安置されており、その中には、会いたいと願う人の顔が必ずあると伝えられているそうですよ。」
「へぇ…そうなんだ」
感心したように頷く俺にさらに言葉を続ける天野。
「本堂の内陣の柱間が三十三あるために三十三間堂と呼ばれていますが、正式には蓮華王院という名の天台宗の寺院だそうです。
元々は後白河上皇の離宮・法住寺殿の広大な敷地の一角にあり、長寛2年(1164)後白河上皇が平清盛に命じて造らせたものだそうです。
周囲には五重の搭や不動堂などを従えて偉容を誇っていましたが、 度重なる震災ですべてを損失、現在残っている本堂は文永3年(1266)に再建されたものだそうです」
「へぇ…すごいな」
「ガイドさん写真とらせて」
「ねーちゃん。解説ありがとうよ」
見ると周りに人だかりが。
どうやら、着物姿の天野をガイドさんと勘違いしているらしい。
「……」
あ、天野が照れてる。
「いくぞ。天野」
強引に天野の手を引っ張って三十三間堂を後にする。
天野の手は、小さくて暖かかった。
で、次にやってきたのが金閣寺。
あの有名な金閣を眺めながら天野がまた説明する。
「お釈迦様のお骨をまつった舎利殿(金閣)が特に有名なため、金閣寺とよばれているそうです。
元々は、足利三代将軍義満(よしみつ)が山荘北山殿を造ったのが元だそうです」
俺は天野の言葉を上の空で聞いていた。
考えていたのはある小説の一部。
現代文学史で試験から外せるわけはない偉大な作家の作品の一説。
「金閣ほど美しいものは地上になく…三島由紀夫の『金閣寺』ですね」
「ああ」
また、言葉に出していたらしい。
だけど、いつもの反省よりも別の思いが言葉となって現れる。
「なぁ、天野。
なんで金閣寺を燃やさないといけなかったのかな…?」
そのまま視線は金閣を見つめたまま。
「なんとなく、分かる気がするんですよ。燃やしたの…」
ぽつりと呟く天野の言葉に耳を傾けても視線は金閣に捕らわれている。
「思い出は裏切りませんから。
彼は現在と未来を捨ててまで過去を守ろうとしたんでしょうね…」
ぽつり、ぽつりと聞こえてくる天野の言葉。
二人とも同じ事を考えていたのだろう。
大切にしていた思い出。
ものみの丘に住まう寂しくそして悲しい生き物達。
奇跡によって家族と友人というものを得た一人の少女の事。
そして、その奇跡にまどろんでいる俺達二人。
うっすらと俺も気づいていた。
多分、天野も気づいているのだろう。
過去は変わらない。
けど、現在は変わるし、未来は誰にも分からない。
それがすごく怖い。
現実の金閣寺が綺麗に見えなかったあの僧のように。
そう思うと、金閣が燃えているような幻覚が見えたような気がした。
だから、
俺は、
煙草を吸う代わりに、
ぎゅっと天野を抱きしめた。
「あ…」
不意に漏れる天野の声。
着物越しに感じる天野の息づかい、身体の温かさが自分に『生』というものを感じさせてくれる。
ああ。わかった。
『金閣寺』の終わりがやっとわかった。
たしかに、生きたいと思う。
人は、何かにすがらないと、こんなにも脆いのだから…
「綺麗ですね」
「ああ。綺麗だ」
夕日を眺めながら俺達は清水寺にいる。
清水寺から夕日が見たかっただけの理由で三十三間堂から清水寺ではなく、金閣寺に行ったのだから。
それほど、清水寺からの夕日は美しかった。
「高いですね」
「ああ。確かここだったな。『清水の舞台から飛びおりたつもりで…』は?」
「そうですよ。飛び降りてみますか?」
「やめとくよ。真琴や天野を置いて死にたくはない」
「死にませんよ。清水の舞台から飛び降りて死んだ人はいないんですから」
そういって笑う、天野は夕日に染められて本当に美しかった。
手で枠を作り、天野を捕らえる。
「そのまま、笑って」
写真を取る真似。
だけど、その写真は二人の心に残りつづけるのだろう。
思い出とはそういうものだし、
今の天野を誰にも見せたくないから…
数日後の水瀬家の団欒。
「ねぇねぇ。最近美汐ってば、すごく上機嫌なのよ」
と、報告するのは真琴。
「へぇ…そうなんだ…」
とはあゆあゆ。
「そういえば、この間祐一何処に行っていたの?」
普段から抜けているくせに妙に鋭いのが名雪。
「うぐぅ…ひどいよ…」
「祐一…ひどいよ」
「祐一さん。また声に出していましたよ」
ぐわ。
秋子さんの指摘でまた頭を抱える俺。
きっと、秋子さんは全てを見抜いているのだろう。
「いちごさんでー」
「たいやき」
「じゃあ、真琴は肉まん!」
「お前ら…俺を破産させる気か!!」
三人の理不尽な要求を却下しながらふと思う。
今度、真琴達をつれて京都にいこうと。
真琴やあゆや名雪達とわいわい京都を歩こうと。
未来が不安なら、未来を変えればいい。
終わりが来るのならば、終わるまで楽しめばいい。
それは、金閣寺の前で互いの「生」を確かめた俺と天野の務めなのだろうから…